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「私がここに居ない」まるこ私事③ 

まだ続いています、私のことばっかり書いてすみません。
何しろ私事なので。
読んでて疲れます?
そうだったら恐縮ですが、続きです。

私にとって人は、3つに分けられていました。
思い返してみると、幼稚園の頃には、そうなっていました。
そしてそのまま、成人してからもずっと、30年近く、こんな感じに人を見ていました。

①『私の思った通りに行動してほしい、そうしてくれて当然』な人
②『どうでもいい』人
③『全面的に私が相手に合わせ、私が相手の期待したとおりに行動する』人

長いので、「続きを読む」にしますね↓


①『私の思った通りに行動してほしい、そうしてくれて当然』な人

とても身近な人
家族や、とても親しい数人の友達や彼

・当然、私の考えや思いを理解してくれているはず
・当然、私を理解した行動をしてくれるはず
・私の思ったとおりに行動してくれないと、ひどくイライラする
・でも、どういうわけか、本心や肝心なことを言葉にできない。
好きとか、あなたが大切とか、いつもありがとうとか、なぜか絶対に言えない。目の前で泣いたりすることも出来ない。
・私のことだけに、関心を向けてほしい。


②『どうでもいい』人
関係や役割がはっきりしている人
親しくなる範囲が、はっきり決まっている相手
学校の先生や、お店の人、そこそこ親しい男友達

・親しくもならないけど、嫌われることもないだろう。
・一緒にいて、とても気楽(好かれも嫌われもしないから。風景の一部みたいな関係だろうから)。
・甘えられる。


③『全面的に私が相手に合わせ、私が相手の期待したとおりに行動する』人
親しくもなく、親しくないこともない人
同級生、とくに女の子
職場の同僚

・どう思われているか、とても怖い。
・少なくとも私は、好かれてはいないだろう。
 なぜなら私は、好かれるような価値を持ってないから。
・何を話していいか、どんな表情をしていればいいか、さっぱりわからない。
・こんな私と一緒に行動しなきゃならないなんて、申し訳ない。
・相手が期待している、私の返事や行動は、なんだろう?と考えて、その通りにする。



変に思えるかもしれませんが、
私には、「私がどう思うか、どう考えるか」は無かったのです。
私にあるのは、「人の言動によって」「私がどう感じるか」という「反応」だけ。
そして、「その人とどういう関係か」によって、私の感じ方は、コロコロ変わるのです。

たとえば、どこかのお店にごはんを食べに行く時。


相手が①の人だった場合
「どこに行く?」と聞かれて、私は「どこでもいい」と答えますが、
連れて行ってもらったお店が気に入らない場合、
「どうしてこのお店にしたの!?私が行きたいお店じゃないじゃない」と感じて、イライラし、相手を責めたくなります。
相手は、私が言葉にしなくても、私の期待をわかってくれているはず。
その通りにしてくれるはず、なのです。


相手が②の人だった場合
普通に、美味しいとかまずいとか言って、食べたり、しゃべったりします。
相手が美味しかろうとまずかろうと、店を気に入ろうとなかろうと、それはあなたの自由。
私には関係ないことです。


相手が③の人だった場合
入ったお店で、相手が「美味しくない」と言おうものなら、
「ごめんなさい!私がこの店を選ぶことを反対しておけば、そんなふうに、美味しくないなんて思わせなくて済んだのに」と思ったり。
気まずい雰囲気が流れたりすれば、
「ごめんなさい!もしかして私のせいで、こんな雰囲気になってしまったのですか?」と思ったり。
相手が何を言うか、どう感じているかが何より大事で、
私がそこのお店や料理をどう感じるかは、どうでもいいことです。


②の『どうでもいい人』に関してだけは、自分と相手との「境界線」がはっきりしていたようです。
そりゃそうですね、「自分」と「相手」は、違う人間なのですから。
思うことも、感じることも、考えることも、何もかもその人独自のもの。

でも、①の身近な人、圧倒的多数の③の親しいとも親しくないとも言えない人、この人たちに関しては、「私と相手の境界線」は、ありませんでした。
そんなわけで私は、親しい人にはわがままに、そうでもない人には従属的に、過ごしてきました。

何より一番苦手だったのは、同級生の女の子たちでした。
③の、親しいこともないし、親しくないこともない、代表選手。
私は彼女たちに対して、どうやって接していいのか、さっぱりわからなかったのです。
すでに、幼稚園の頃には、相手にあわせること、期待通りに行動することをしていました。
小学校は、大人しくて、みんなの後をついて回る子として、なんとか過ぎました。
でも、中学生になると、さすがにちょっと、無理が出てきました。
どんどん個性的になり、自分の感情や考えを、自由に表現する同級生たち。
私はそんな、素敵なことが出来る人との中で、どうしていいのかわからない。

私が選んだのは、「変わった子を演じる」ことでした。
天然ボケですね。
当時は、天然なんて言葉、なかったんですよ、年を感じますね。
小さい中学校だったので、そのうち私の天然ボケキャラは定着し、
「変わってるから仕方ないねー」と、しっかり者の同級生に世話してもらうまでになりました。
私は少し楽になりましたが、反面、本当の友達は作れませんでした。
同級生たちが見ている私は、演じている私なのですから。
当時、太宰治の人間失格を読んで、「私のこと!?」と思ったりもしましたが、
じゃあどうしたら良いかというとわからなかったので、
そのまま「変わった子」として、高校も、看護学校も、就職してからも、
人との付き合い方も、①~③のままで、ずっと、
ようやくうつ状態で自分が破綻するまで、続きました。

今思うと、当然の結果だったのですけどね。
さっさと気付けよ!とか、もっと早く冷静に自分を見ろ!とか、
どうせ破綻するならもっと早くに破綻してくれよ、とか、
昔の私に言いたいことは色々ありますが、
でも私は、人との関係にずっと振り回されていて、自分が無かったもので、
人と自分の境界線がどうかなんて、そんな発想なかったもので、
そのまま20代後半まで行くのですー。

④に続きます・

コメント

④待ってます♪

なんか、いい感じですね~♪
どんどんどん、まるこ姉さんを聞かせって下さい。
私にも思い当たる節がヒシヒシ・・・・とv-12
④待ってま~す♪♪

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