スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

苦しみを手放さない理由 

三人の神様がろくじろうに集まりした。

この光景は、おみごととしか言いようが無く

99才と94才と90才の神様たちは自分の思うことだけを
自由気ままに言葉にして、相手のはなしなんそは聞いちゃぁいない

そのカシマシイ様子がなんとも愛おしく、輝いていて、

まさしく”神”だなぁとみんなで目を細めました。

70代、80代なんぞは、本当にひよっこですなぁ

2010-9.jpg

これは、近所の神社にお参りに行った時の写真らしいです。
私は留守していたのですが。デジカメの中に見つけ、
これまた、愛おしい光景ではありませんか。

光景って、光の景色って書くのですね

2010-9-6.jpg
2010-9-3.jpg
2010-9-5.jpg

ろくじろうも、今月で一年がやってきます。
最初の頃から通い始めてくれた人たちも、
みんな、なお一層元気です。


認知症で家族が困り果てていたにゃにゃさんは、あの頃が嘘のように
とっても穏やかになりました。


でもね、お家の人の考えは違うんだ...


あれも、これも、最初の頃にご家族が望んでいた事は叶っているはずなのに、

しばらくすると、じきに次の問題点を引っ張り出してくるんだ。

私達から見ると、それは自分達で作り上げているかのように見える。

そう、家族の中の困ったが、まるで治ってしまっては困るかのように...


この人は、認知症という役割を引き受ける事で、
家族の中の何かをつなぎとめようとしているかのようにも思うんだ。



なにかが、違うんではないかってさ


その家族の問題を解決してしまっては、解決されてしまっては
その家族は、困るんだなぁって、気が付いた。

それは認知症だけではなく、障害であったり、病であったり

じゃあ、うちの中はいつまでたってもゴタゴタギスギスし続けているのに
なんでろくじろうの中は、中では?穏やかに過ごせるようになったのか?

なんでだと思うって、スタッフのみんなに聞いてみたんだ。

ソトヅラとか、気を使っているとかというだけのレべルじゃないよね。


こう問いかけた時、スタッフのみんなは目が点になった


じゃあさぁ、ろくじろうでは利用者さんが困った問題や行動を繰り返す時
どう対処してきた?


真剣に怒ってきたよね、

真剣に聞いて来たよね

本気で利用者さんと話し合ったよね。


自分の全力で向き合った

それは認知症であっても、障害者であっても

そんな事は問題ではない。

そんな事を繰り返して、一緒に過ごしてきたとき、

利用者さん達が、私達を

信じてくれるようになったんじゃないかなぁ


彼女達も、私達を助けたいと、困った行動を起こさなくなったんじゃないかなぁ


じゃあ、なんで同じ時間で進んでいる家庭では、家族間では問題が解決されないまま
困ったがずっと続いているんだと思う?


それは、きっと、本気でぶつかっていないんだと思うなぁ。
家族ってヤツが、本気で話し合うこと、本気で困ったと言い合うこと
本気で助けて欲しいと言葉にすることから、逃げ続けているからじゃないのかなぁ




あきらめました

どうせ言ってもだめだから

わからないから、口をきかないんですよ

しょうがないから、言うとうりにさせているんです....

「困った」から卒業しない家族は、みな一様に同じような言葉とため息を繰り返す

そして、変わることは怖いんだと瞳が語りかけてくる


変えないで欲しいと...




自分にも、自分達にも、もっと力があるんだという事を

忘れてしまった人たち。



お役に立ちましたら
ワンクリックお願いいたします。
↓ランキングがあがるとみんな大喜びの香り庵です



コメント

私の話ですが

いつも読ませていただいています。

確かに、そういう家族の方はいます。
けれど、それは
(とっても浅はかだと思うけど)家族は僕らの知らない
「じい・ばあ」の「おとん・おかん」時代を知っているからじゃないかなぁ
と思います。

仕事帰りにスーパーで
チョコをねだる僕に「しかたないわね」と
困った顔して買ってくれた母が
「ばかやろう」と頭ごなしに怒られて背中ばかりみせて夕焼けの中、泣きじゃくる僕と一緒に帰ってくれた父が

ぼけて何も分からなくなってしまった。
私のことも忘れてしまった。

そんな「変化」に対して冷静に
「今を受け入れよう」っていうのは
嫁や孫や聖人ぐらいしかできないような気がする。
私も
おこることも
向き合うことも疲れた。
だから、私は
横になんとなくいる人でいたいと思います。

でも、怒ってしまう。
ああ、気になってしまう。

離れたくても離れられない。
それが家族なのかなあ…。

家族の人には
「いやぁ、大変ですね」と
「どうしたらいいですかね…」と
専門的なアドバイスよりも
希望の部分よりも消極的な同情や
おんなじ悩みの共感がほしかったりするような気がする。

受け入れることは難しい。
だから、一緒に受け入れて
悩んで過ごしていこうと思う。

結果より道程。
技術より愛嬌。
私はそう思います。
私は、ですが。

すみません。

ほんとうですね

>希望の部分よりも消極的な同情や
>おんなじ悩みの共感がほしかったりするような気がする。

本当に、そうなんです。

変わらないのは、家族だけだったりするのです...

私も、認知症家族としては、いつも大騒ぎしていますe-264
泣いたり、わめいたり、もう限界だとさわぎまくったり...

「人は変えられないんだよね」
そんな立ち話を、今朝スタッフとしました。

「でも、人って変われるじゃないですか。
こんな私が、自分でも驚くくらいこんなに変わったし」

「そう、人は変わることが出来るんだ、いくつになっても。
でも、変えることは出来ないんだよねぇ。

変えられると思うと、いこじになって変わらないぞ!と思うもんね、
自分だって...」

介護者家族には、理屈じゃない物がある。

介護者家族がやってるディサービスだから、
私達には痛いほどわかることもあるんです

しかし、本当に面白い仕事ですネェ、この仕事はe-266

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://kaorian.blog40.fc2.com/tb.php/717-3de84301

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。